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町工場は“待ち工場”ではいけない。83歳の旋盤工作家、魂の叫び

小関智弘氏「攻める中小」支える政治に
町工場は“待ち工場”ではいけない。83歳の旋盤工作家、魂の叫び

小関智弘氏

 参院選を前に、安倍政権の経済政策「アベノミクス」の効果が中小企業に及んでいるのかが問われている。身の回りでは「恩恵にあずかっていない」との評価が多い。旋盤工をしてきた私はこんな時だからこそ「町工場は“待ち工場”ではやっていけない。自分の仕事は自分で作る時代だ」という言葉をかみしめたいと思う。

 この言葉の主は、大橋製作所(東京都大田区)の大橋正義社長だ。バブル経済崩壊後の円高不況に直面した1995年ごろ、ある講演会で口にされた。業績を好不況のせいにすることなく、自社の生きる道を探す。得意先や親企業にぶら下がらず、苦労はしても得意技を生かして会社を発展させるという考えに感銘を受けた。

 そんな大橋さんを今春刊行の『ひとびとの精神史―第7巻 終焉する1980年代』(岩波書店)で取り上げた。他の執筆者による元首相の中曽根康弘氏や映画監督の宮崎駿氏、歌手・美空ひばりさんらとともに、大橋さんの名前がある。

 大橋製作所は、半導体や液晶の製造装置や金属製造形物「数楽アート」で知られる。創業100年で、道のりは平坦(へいたん)ではなかった。本の編集部は、戦後の経済発展に町工場が担った役割とその変貌ぶりは大きいとし、町工場の項の人選と執筆を私に任せてくれた。

 町工場、待ち工場…掛け言葉のようだが、「待ち工場からの脱却」を唱えた大橋さんは当時、先進的だった。従来、町工場には「好景気は最後に、不況は真っ先にやってくる」と言われた景気循環的なもので、ひたすら待っていれば仕事が戻ってきた。

 しかし今度は構造的な不景気で、いつもと違う。そんな変化をいち早く感じ、警告を発した。同社は「無から有を生み出す」「道具がなければつくる」という考えを徹底し、技能者の育成や対外的な研究会活動にも力を入れてきた。

大手の不正に怒り


 目を転じれば、三菱自動車の燃費不正問題や東芝の不適切会計など、モノづくり企業の品格を疑う問題が相次いでいる。「儲(もう)けのことを考えると技術が縮こまる」というある経営者の言葉があるが、技術どころか会社自体が縮こまってしまう。

 こうした大企業の仕事を根底で支えているのは各地の町工場であり、経営に影響が出るかもしれないと思うと恨みや怒りを覚える。

 この間、為替の変動や経済の国際化、アジアの急成長などに見舞われながらも、知恵と工夫による独自製品の開発、独自技術の確立でしたたかに生き抜いてきた町工場。混乱する都政を含め、“攻める工場”を応援することはあっても、足を引っ張る政治であってはならない。
【略歴】
小関智弘(こせき・ともひろ)51年(昭26)都立大学附属工業高卒。約50年間、旋盤工として東京・大田区の町工場を渡り歩く。かたわら『粋な旋盤工』『大森界隈職人往来』『春は鉄までが匂った』などを執筆。東京都出身、83歳。
日刊工業新聞2016年6月27日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
町工場の2代目、3代目が待ち工場を脱しようという動きが全国で数多く出てきている。3、4年ほど前にメイカームーブメント(製造業革命)という言葉が流行った。今はインダストリー4.0(第4次産業革命)がそれにとってかわっている。インダストリー4.0は何も大手企業の革新だけではない。今後は大量生産する巨大メーカーのメリットが段々となくなるだろう。嗜好(しこう)が特別になればなるほど単価が高くても人は買う。新しい時代のメイカーズ(モノづくりの担い手)と、そのムーブメントは日本の産業構造にプラスに働く。世界に冠たる町工場という産業レイヤー(階層)があり、そこにはまだ「リアルメイカーズ」が残っている。

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