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「真田丸」14代目は大学で情報戦を学生に教え込む

真田幸光(愛知淑徳大学ビジネス学部・研究科教授)「戦わずして勝つ」
「真田丸」14代目は大学で情報戦を学生に教え込む

真田家の象徴である六文銭のバッジを手にする真田さん

 NHKの大河ドラマ『真田丸』。主人公の堺雅人さん演じる信繁と兄の信幸、父の昌幸を中心にドラマが動きだす。実のところ、私は信幸から数えて14代目の真田家一門だ。祖父が次男だったため、本家ではないが、今でも真田家とはゆかりがある。信州松代の菩提(ぼだい)寺『長国寺』(長野市)は本家が継いだが、私は江戸の菩提寺『盛徳寺』(神奈川県伊勢原市)を本家とともにみている。ドラマを通して、銘々脈々と真田家の教えは私にも受け継がれていることを実感する。

 真田家の中で、私は昌幸に感銘を受ける。ドラマではひきょう者として描かれ少し寂しい気もするが、知将であり、恐らく日本で“情報戦”を始めた最初の頃の武将だ。

 なぜ昌幸が情報戦に優れていたのか。それは山伏(修験者)を全国津々浦々に派遣し、それを束ねていたからだ。山伏から各地の情報を入手し、丹念に分析した上で戦略を立てた。今のようにテレビやインターネットがない時代。生の情報を持っていることは何よりも武器になった。

 真田家の家訓として、死ぬまで生きよ、最後の最後まで生に執着せよ、という言葉がある。これは生きるためなら手段をいとわず、人の首を切ってでも生きよ、と捉えられがちだが、私の解釈は少し異なる。

 生に執着することは生を大切にすることであり、ひいては戦う相手の生も粗末にしないということだ。つまり「戦わずして勝つ」ことが最善であり、このために時にひきょうに見える手段を取らざるをえなかったのが昌幸なのだ。

 2011年は昌幸が九度山で他界してから400年の節目の年だった。『盛徳寺』でも400年祭を催し、私は“名誉檀家(だんか)”としてあいさつした。

 ドラマのおかげで、最近は真田家と私の専門である経済を織り交ぜて講演を依頼されることもある。私は長年、銀行に勤めていたが、縁あって現在は教壇に立っている。今や全国に山伏(教え子)がおり、現代の情報戦を有利に運ぶことができる。
日刊工業新聞2016年6月24日
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
真田昌幸、信繁(幸村)親子が関ヶ原の戦いの後、14年にわたり蟄居させられていた和歌山県九度山町。九度山では家臣や家族らを養うため、たびたび信州上田の国元に無心するなど経済的に困窮していた。生活の足しにしたのが、内職の“ひも”の製造販売。今で言うベンチャービジネスを起こした。九度山でひもを作り、堺の商人が全国に売り歩いた。その触れ込みが「真田が作る強いひも」。小幅の織物でできたひもは、実際に丈夫なことから多くの用途に使われた。いわばブランド活用ビジネスの成功例。幸村は九度山に仕入れに訪れる行商人から、各地の情報を得ていたという。後に大坂夏の陣で徳川家康をいま一歩のところまで追い詰めた知将は、経営センスも持ち合わせていた。

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