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ジェイエア、初の退役機。ボンバルディアCRJ200初号機が離日

ジェイエア、初の退役機。ボンバルディアCRJ200初号機が離日

整備士に見送られて売却先へ旅立つジェイエアのCRJ200初号機

 日本航空(JAL)グループのジェイエア(JAR)が運航するボンバルディアCRJ200型機の初号機が6月23日午後、売却先へ向けて伊丹空港を飛び立った。

 CRJ200は1999年10月22日、プロペラ機ジェットストリーム・スーパー31型機の後継機として選定された。ジェイエア初のグラスコックピット機で、座席数は19席から50席へと大幅に増加。エンジンはGE製CF34-3B1を胴体後部に2基搭載する。

 初号機は2000年11月30日に受領。2001年4月1日、2号機(JA202J)とともに就航した。JALの植木義晴社長も、2008年から2010年までジェイエアの副社長兼パイロットとして出向していた際、操縦桿を握っていた。

 最後の商業運航は、5月16日の熊本発伊丹行きJL2392便。27日に実施した売却に向けた飛行試験が、ジェイエア機として最後のフライトとなった。

ジェイエアの成長支えた飛行機


 23日は売却先へ向けて出発する前、本拠地である伊丹空港の格納庫にはジェイエアをはじめ、伊丹地区のJALグループ社員有志が集まり、初号機の活躍をまとめたDVDが放映された。

 「操縦していて楽しい機体だった」「客室乗務員としての自分を育ててくれた」「乗客との距離の近さが接客の原点になった」と、自らの成長につなげてくれた初号機に感謝の言葉を贈った。

 運航部門統括の河尻敏之常務は、「最後にお客様を乗せたフライトは熊本路線だった。今後も地域とのつながりを大切にし、高い品質を社員みんなで提供できるように努力したい」と話した。

 見送りに立ち会えなかった大貫哲也社長はビデオメッセージを寄せ、「2001年から15年に渡り、ジェイエアの成長と発展を牽引してきた。広島、名古屋、大阪と飛躍を求めて本拠地を移す中、一貫して会社を支えてきた飛行機だ。ジェイエア20年の歴史は、この飛行機と共にあると言って差し支えないだろう」と、労をねぎらった。

 午後0時53分、横断幕を手にした社員に見送られ、初号機は73番スポットから出発。フォロミーカー(先導車)に誘導されてA滑走路(RWY32R)へ向かい、午後1時9分に離陸した。カムチャッカ半島のエリゾヴォ空港、アンカレッジ空港を経由し、米国内の売却先へ向かう。

 ジェイエア機としての総飛行時間は3万6868時間42分、総飛行回数は3万8782回となった。ジェイエアは現在、CRJ200を8機(JA202J-JA209J)、2009年2月1日就航のエンブラエル170型機(E170、1クラス76席)を17機(JA211J-JA227J)、今年5月10日就航のエンブラエル190(E190、2クラス95席)型機を1機(JA241J)の、3機種26機を運航している。

 現在発注済みの機材は、E170とE190合計で確定発注12機、オプション12機の最大24機。E170でCRJの置き換えを進め、全機材をエンブラエル機に統一し、2021年からは三菱航空機の「MRJ」を32機導入する計画を進めている。

 CRJが全機退役する時期は、MRJの受領時期等により変更となる可能性があるため、現時点で確定していない。
吉川忠行
吉川忠行 Yoshikawa Tadayuki Aviation Wire 編集長
ジェイエアのCRJ200初号機が社員に見送られて売却先の米国へ向けて伊丹から飛び立ちました。同社のCRJで最初の退役機です。

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