「被災地・茨城」中小企業、それぞれの5年

 東日本大震災から5年―。東北地方だけでなく茨城でも県北部を中心に大きな被害を受けた。企業の経営を狂わせた震災は、復旧・復興に向けた課題を今なお突きつけるが、それでも中小企業はそれぞれ新たな一歩を踏み出している。

取引先との信頼関係強固に


 「元の状態に戻せたのは昨年の春ごろだった」。電子顕微鏡関連付属品などの製造を手がける三友製作所(茨城県常陸太田市)の加藤木克也社長はこう話す。震災で設備機器が横すべりし、工具があちこちに散乱した。通常業務をこなしながら設備更新などを続けてきた。

 ただ震災は取引先との信頼関係を強固にするきっかけにもなった。主要取引先の設備が2011年9月ごろまで復旧しなかった。復旧後はその反動で仕事量が倍近くに増え、一時的な増員などで乗り切った。加藤木社長は「大手企業でグローバルな調達が広がっている中で、絆を強められた」と自信を深める。

 フィルム用巻き芯などを手がける三協紙業(大阪市中央区)は、北茨城工場(茨城県北茨城市)が完成1カ月前に被災。顧客の散逸などで建設コストの回収が3年遅れて一時、経営危機に直面した。「製品の汚染レベルを検査しないと受け入れられない」と外資系企業から納品を拒絶されたこともある。佐方将義社長は「知り合いの企業も含め、風評の影響で経営が予定通り進められずにいるところは多い」と話す。

 顧客獲得に向けて技術力向上に取り組み、北茨城工場で担当する取引先企業をゼロから60社に増やした。佐方社長は「工場操業前に予定していた顧客が減った分、今後も新規開拓に懸命に取り組んでいく」と決意を新たにする。

 メッキ加工業の茨城プレイティング工業(同)は、震災時に約10日間の断水被害に遭った。メッキ加工は洗浄用に水を大量に使うため、業務に大きな支障をきたした。そこで非常時に備え、タンクローリーで水を運んでもらえるよう業者に見積もりをとってある。大澤健一社長は「震災は大変だったが、教訓を今後に生かしていきたい」と力を込める。

 銅製部品加工の茨城電材工業(同日立市)は、原子力発電関連で工場を閉じた取引先の影響でわずかに仕事が減ったが、売り上げに大きな影響はなかった。震災直後は約1週間断水が続いたこともあり、防災への意識を改めた。大友秀郎社長は「将来的には小規模発電機を導入し、自社で使う電気を自分たちでまかないたい」と展望を語る。

自力で立ち直った自信


 津波の被害に遭い、オフィスが60センチメートルほど床上浸水した小川産業(同北茨城市)。機械工具などの販売を手がけている。復興に向けて工業製品の特需が生まれ、売り上げは安定して伸びている。

 ただ、被災後に申請した補助金が通らず苦労した。地震でひびが入った倉庫を満足に修理できず、応急処置した状態のままだ。小川幸則社長は申請書類で状況を正しく伝えられなかったと悔やみつつ、「当社も製品販売で地域の役に立ってきたと思う。取り組みを目で見て評価してほしかった」と話す。

 それでも小川社長は前を向く。震災を教訓に社内で連絡網を作ったり、避難訓練を実施したりするようになった。「自力で立ち直ったことは、社内全体で自信になっている」(小川社長)。
(文=茨城・大原翔)

日刊工業新聞2016年3月11日「深層断面」から抜粋
日刊工業新聞社電子版

山口 豪志

山口 豪志
03月14日
この記事のファシリテーター

震災から5年。様々な想いをされておられる経営者の皆様。その裏側のご苦労を想像して考えこんでしまう。ただ、《絆を強めて、前に進む。》という言葉は心強い。 学生時代に茨城で過ごした経験から、東北地方や茨城の方々の仲間を想いやる結束力は非常に強い印象があった。中小企業ならではの小回りできる柔軟性と他社では出来ない特殊性の強みで是非とも未来を切り開いて行って頂きたい。

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