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「技術経営」明治維新に学べ。モノ・カネ抜きでは成立せず

文=大江修造(日本開発工学会会長)ヒトのみで語ることは精神論を過大評価する危険性
「技術経営」明治維新に学べ。モノ・カネ抜きでは成立せず

「官営八幡製鉄所」修繕工場、1900年に建設された現存する国内最古の鉄骨建造物(新日鉄住金提供)

 「ヒト・モノ・カネ」とは、事業経営に際してよく引用される句である。しかし、歴史が語られる時、「ヒト」は良く語られるが、「モノ・カネ」が語られることは少ない。一方、「武士は食わねど高楊枝」という慣用句もあり、金のことに触れるのは下賤なことだという風潮もかつてはあった。

 2年後の2018年は明治維新から150年目に当たり、明治維新を見直す機運が高まっている。明治維新は偉人・名君によりなされたとの説が歴史書に多い。しかし、明治維新ほどの”大事業“をモノ・カネなしで語ることはできない。ヒトのみで語ることは精神論を過大評価する危険性があり、国の方向を誤らせた先の痛い経験を我々は有している。

維新のきっかけは英国がパートナーを変えたこと


 明治維新の大きなきっかけとなったのは、薩英戦争である。薩摩が英国に勝利したことにより、英国が薩摩藩の実力(武力)を見直し、パートナーを幕府から薩摩藩に変えたことが大きく影響している。

 多くの歴史書は薩英戦争の勝者を明確に記述していない。しかし、薩英戦争後の英国の薩摩藩への接近・倒幕への協力をみれば、勝者は明らかに薩摩藩と言える(拙著「明治維新のカギは奄美の砂糖にあり」、アスキー新書、2010年)。

 薩摩藩が英国に勝利した根拠の一つは戦死者の数。英国艦隊の戦死者数は指揮官以下、13人に対し、薩摩藩側は5人だ。戦績は薩摩藩が要所に設置してあった85門の大砲による攻撃が功を奏したからだ。

 幕末、薩摩藩は多大な財力を有し、近代的な軍需工場(集成館)を運営し、爆薬と大砲を製造していた。幕末までに洋式艦船17隻を所有していた。

薩摩藩が莫大な財力を持てた理由


 薩摩藩が莫大な財力を持てたのは、奄美の産する黒糖を大阪の商店を通して全国に高価で独占的に販売して利益を得たからだ。奄美の黒糖の生産量はペリーが来航した嘉永6年(1858年)までは横ばいであったが、幕末までの15年間に倍増し、6600トンに達していた。生産額は幕末の1年間で約300万両。当時、軍艦の価格は10万両程度だった。

 明治維新は偉人・名君によってなされたことは事実。しかし、モノ・カネ抜きでは真実は分からない。奄美の砂糖がなければ、明治維新は成立し得なかったことをぜひとも多くの方に理解していただきたい。日本開発工学会では、技術経営を明治維新の政治に学ぶとして、このことを座談会で取り上げた。

※日刊工業新聞では「裏読み科学技術」を連載中
日刊工業新聞2016年2月22日 科学技術面
明豊
明豊 Ake Yutaka 取締役デジタルメディア事業担当
歴史をみればお金の形態が変わる時、世の中、社会も変化する。電子マネーやビットコインに限らず最近は金銭を介在しないシェリングエコノミーも生まれている。メディアも経営者に焦点を当てると記事は面白くなるが、取材が人に偏り過ぎると大きな変化や本質が見えなくなることもある。

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