新しい遺伝子治療法となるか、ゲノム編集でマウスの筋ジストロフィー改善

米の3グループ、変異遺伝子の修復ツールを無害ウイルスで全身に感染

 「近い将来のノーベル賞候補」とまで言われ、2015年にもっとも話題になった技術が「ゲノム編集」だ。とりわけ2013年に登場した最先端の「CRISPR/Cas9(クリスパー・キャスナイン)」は、従来のゲノム編集や遺伝子組み換えに比べて、ピンポイントでDNAの特定の遺伝子を破壊したり、新しい遺伝子を所定の箇所に挿入できる精度の高さが売り物。米サイエンス誌による2015年の「ブレークスルー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれ、今や農畜産物の改良などへの応用研究が世界中で進められている。

 さらに、医療分野では遺伝性疾患などの治療法への応用が期待されている。そうした中、進行性の遺伝性疾患で、筋ジストロフィーの大半を占めるデュシュエンヌ型筋ジストロフィー(DMD)の治療につながる研究成果が報告された。米国の3つの独立した研究グループによるもので、CRISPRを使ってDMDのマウスの原因遺伝子を修復し、筋肉を作り出すのに不可欠なたんぱく質を生成することに成功したという。

 しかも、CRISPRを活用して動物や人間の細胞レベルでの遺伝子修復や、マウスの肝疾患の治療といった事例はこれまでにもあったが、遺伝性疾患を持つ生きた動物の全身にゲノム編集を行き渡らせたのは初めて。いずれも1月1日付のサイエンス誌に論文が発表された。

 筋ジストロフィーは骨格筋や心筋といった筋肉が次第に萎縮する遺伝性の難病。うちDMDは男子だけが発症する重篤なタイプで、10代までに車いす生活となり、若くして心不全や呼吸不全で亡くなることが多いという。原因は筋線維の束を、それを包む膜に固定するのに不可欠なジストロフィンたんぱく質の不具合にあり、そのたんぱく質を作る遺伝子の変異により発症する。

 根本的な治療法は見つかっておらず、筋肉を作り出すのに幹細胞を体内に注入する手法での治療は難しいことがわかっている。そのほか、以前からウイルスに正常なジストロフィン遺伝子を運ばせてDNAに組み込む遺伝子治療が試みられてきたが、遺伝子のサイズが大きいこともありうまくいっていない。

 そのうち比較的有望とみられているのが、遺伝子を鋳型にしてたんぱく質を生成する際、遺伝子の変異部分をいわば飛ばし読みして遺伝子発現を抑制するアンチセンスの薬剤候補。すでに臨床試験に入っている。ただ、筋肉を作る機能を持つ短いジストロフィンを生成するものの、副作用がある上、特に心筋の改善がそれほど見られないことから、まだ医薬品としての承認には至っていない。薬剤の場合、生涯飲み続けなければならないという課題もある。

 今回、マウスでの治療成果を別個に報告したのはそれぞれ、テキサス大学サザンウエスタン医療センター、デューク大学、それにハーバード大学の研究グループ。デューク大とハーバード大は、CRISPR/Cas9の開発者の一人として知られるブロード研究所のフェン・チャン博士と協力して研究を行った。

 テキサス大では、CRISPRで目的の遺伝子を特定するガイド役のRNAと、遺伝子を切断するハサミ役の酵素(Cas9)というツール一式を無害なアデノ随伴ウイルスに運ばせる手法を考案した。この運び屋ウイルスを若いマウスの筋肉や血管に直接注入して全身に感染させ、細胞に送り込まれたゲノム編集システムが、骨格筋や心筋の細胞DNAにあるジストロフィン遺伝子の変異部分だけを切除する。その結果、多少短いものの、有効なジストロフィンが生成されるようになり、治療していないDMDマウスに比べ、治療したマウスは筋肉の強さが改善されたという。

 ほかの2グループもほぼ同様の手法を使い、3チームともゲノムの他の部分を切除したりといった、標的遺伝子以外への影響は見られなかったとしている。いずれのチームも治療手法について特許を申請済みだ。

 うちターゲットがほかの2グループと異なるのは、ハーバード大の研究。ゲノム編集システムで、体内で筋肉のもととなる親細胞、筋幹細胞中のジストロフィン遺伝子が修復されることを実証した。研究リーダーを務めたハーバード大幹細胞研究所のエイミー・ウェイジャー教授は、これについてサイエンス誌に対し、「非常に重要な成果だ」とコメントしている。というのも成熟した筋細胞は分裂して増えないため、CRISPRで治療した筋細胞は時間が経てば死んで減っていき、治療効果が次第に薄れていく。それに対し、治療対象が筋幹細胞であれば、そこから修復された新しい筋細胞が次々に生み出されていくためだ。

 ただし、検査の結果、今回治療を受けたDMDマウスは、健常なマウスに比べると筋肉はまだまだ劣る。治療法についても最適化の余地が残っており、ゲノム編集システムに対し、体内の免疫機構が働くのではないかといった懸念もあるという。そうしたことから、テキサス大で研究を主導したエリック・オルセン教授によれば、人間を対象とした臨床試験が始められるのは何年も先になる見通し。それでも研究に関わっていないDMDの専門家からは「生きた動物の骨格筋でゲノム編集が有効なことを示したのは、極めて大きな前進だ」と評価する声も挙がっている。新しい遺伝子治療に発展する可能性もある。

 CRISPRの利用をめぐっては、昨年4月に中国の研究チームが人間の受精卵の遺伝子を改変したという論文を報告し、物議を醸したのは記憶に新しい。これを受けて、12月には米英中の学術団体が中心になって国際会議を米国の首都ワシントンで開催。学術界としてはヒトの受精卵について妊娠に結び付けないことなどを条件に、ゲノム編集による基礎研究を容認する方向を打ち出した。

 実はテキサス大のグループは今回の研究成果に先立って、DMDのマウスの胚にCRISPRを適用し、変異したジストロフィン遺伝子を修復できることを示している。だが、こうした倫理上の制約から、ゲノム編集による人間の胚治療の臨床応用は難しいとみられている。

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藤元 正

藤元 正
01月04日
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生きた動物にウイルスを感染させ、ウイルスに運ばせたゲノム編集ツールで全身の筋肉細胞をくまなく治療するという、大胆な発想に驚いた。3グループでは遺伝子の切断箇所が違うようだが、こうした知見を合わせながら、人の患者での筋細胞の変異箇所を反映させていけば、臨床応用に向けて研究がさらに進展するだろう。さらにゲノム編集が強力といっても成功率は100%ではない。ツール側の改良も、ゲノム編集による治療成果の向上につながっていくものと思われる。

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