汎用大型計算機の米アムダール創業者、92歳で死去

IBM「システム/360」の設計者、富士通と提携しIBM互換機市場を切り開く

 かつて米IBMでメーンフレーム(汎用大型)コンピューター「システム/360」のチーフアーキテクトを務め、その後独立してIBMメーンフレーム互換機を開発したジーン・アムダール氏が11月10日に92歳で亡くなった。1970年に同氏が創業し、自らの名前を冠した米アムダール(Amdahl Corp.)には当初から富士通が出資し、両社でIBM互換機ビジネスを進めたことでも知られる。

 アムダールと富士通の提携は、同氏とほぼ同い年で、ICを採用した大型コンピューターの「FACOM(ファコム)」を開発し、「日本のコンピューター開発のパイオニア」とも言われる富士通の池田俊雄氏(74年死去)が最後にかかわったプロジェクトの一つでもあった。IBMが市場をほぼ独占し、事実上の国際標準となっていた70年代に、互換機という新しい市場を切り開き、さらにコンピューター貿易の自由化という追い風を受けながら、富士通のコンピューター分野での国際進出を後押しした、という意味でもアムダール氏の功績は大きい。

 アムダール氏は22年サウスダコタ州生まれ。サウスダコタ州立大を卒業後、52年にウィスコンシン大マディソン校で理論物理学を専攻しながらデジタルコンピューターの論理設計についての博士論文を完成し、自身初のコンピューター「WISC」を開発する。

 同年そのままIBMに入社し、コンピューター設計に従事するが、55年にいったん退社。レーダーやデータ処理の技術開発に携わった後、60年にIBMに復職する。「システム/360」のチーフアーキテクト(主任設計者)を務め、65年にはフェローに就任、カリフォルニア州メンロパークにあるACS研究所の責任者の職にも就いている。

 だが、コンピューター開発についての提案が上層部に却下されたことから、70年に再度IBMを離れ、今度はIBMのアプリケーションソフトが稼働し、より高速でより低価格の互換機開発に向け、ベンチャー企業のアムダールを立ち上げる。そこで、同じく互換機ビジネスへの参入を目指す富士通と提携、72年に富士通から24%の出資を受け入れ、アムダール初の商用機「470V/6」を開発した。同機は富士通の川崎工場で生産され、IBMのシステム/360や後継の同370に比べて低価格で高速かつ信頼性が高かったことから、75年にはNASA(米航空宇宙局)に納入されるなど成功を収めた。79年までに累計10億ドル以上の「V/6」「V/7」メーンフレームが販売されたという。1997年にアムダールは富士通の完全子会社となり、独立企業としては消滅している。

 一方、アムダール氏は79年になって自らの会社を離れ、相次いでベンチャー企業を創業するが、いずれも経営はうまくいかなった。まずメーンフレームの低コスト化を狙いに半導体チップ開発の「トリロジー・システムズ」を立ち上げるものの、開発が難航し、エレクシー(現タタ・エレクシー)に吸収合併された。87年に設立したアンドア・インターナショナルも、狙いとした中型メーンフレーム市場の競争激化で苦戦し、1995年に倒産に追い込まれている。

 アムダール氏は並列計算分野の「アムダールの法則」でも有名だ。複数のプロセッサーを使って並列計算を行い、プログラムを高速処理する場合、並列化できない逐次処理の部分の影響を受け、どれだけプロセッサーを増やしたとしてもシステム全体の性能向上には限界があるとする理論で、並列コンピューターの性能向上予測などに役立てられるという。

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「コンピューターワールド」の報道

藤元 正

藤元 正
11月14日
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1970年代当時、日本の大企業がアメリカのぽっと出のベンチャーと提携するというのは、あまり考えられない出来事だったのではないか。もちろん、そこにはシステム/360を設計したアムダール氏の知名度の高さと、通産省のバックアップもあったものと推察される。折しも1ドル360円の固定相場制から変動相場制への切り替え、貿易自由化という激動の時代背景もあり、コンピューター市場の急成長も当時は容易に想像できたろう。アムダール氏の死は、1984年にマッキントッシュを引っさげて巨像IBMに戦いを挑んだアップルより一回り前の時代に、コンピューターのフロンティアを目指した先達の熱い思いを現代に伝えてくれる。

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