全国最年少町長はこの3年間、何を考え行動してきたのか

【対談】京都府与謝野町町長・山添藤真氏×「和える」代表・矢島里佳氏

 丹後ちりめんや天橋立でも有名な京都府与謝野町。3年前の選挙で当時、全国最年少町長として当選した山添藤真氏(35)。一方、株式会社「和える」代表取締役の矢島里佳(29)さんは、伝統産業を子どもたちを伝えたいという思いで2011年に起業。今、二人は伝統産業の再興、地方の活性化で協働を始めようとしている。 次世代を担う政治家と起業家が地方の未来について語り合った。

ーまずなぜ町長に?
山添 私たちの町に必要なものは、一歩踏み出す勇気です。昭和50年代以降、地場産業の織物産業が衰退していく過程で、精神的な豊かさが削がれていったのではないかと感じます。一人ひとりが一歩踏み出すことに躊躇した時代があった。私が地元に戻ってきた時もそう感じました。困難な、選挙に出ることによって、少しでも町の人たちの挑戦を後押しできればと考えました。

矢島 精神的な豊かさという言葉がありましたが、町長から見てどう弱って見えたのですか。私は以前から「文化資本」と「経済資本」を“和える”ことが、これからの豊かさだと唱えています。文化と経済の双方が両輪で育み合うことが必要で、そのバランスが大切だと考えています。

「糸へん」産業の難しさ


山添 私たちの世代は、親の世代から「この地域に帰ってこなくていいよ」と言われて育ちました。この言葉に疲弊した心の在り様が見て取れます。子どもたちにずっとそばにいて欲しいというのは親の願いだと思いますが、地場産業の衰退を予見していたことから、子どもたちにそう言わざるを得なかった。私は次世代には「与謝野町は幸せに暮らせる地域だから」と伝えていきたいですね。町長に就任して以降も、IターンやUターンが極端に増えているわけではありません。しかし、合計特殊出生率はこの3年で伸びているので、暮らしやすさは向上しているのかな、と思っています。

矢島 私自身、伝統産業業界に10年間ほど携わってきて、全国の「糸へん」産業、技術はあるのですが、再興させる点では一番難しいと感じます。まず織物は元来着物がベースなので、そもそも日本人が民族衣装を纏わなくなったことで一気に需要が落ちたわけですが、その後も、なかなか洋装の世界にシフトできていません。その一つの要因として、着物は毎日洗うことを想定して作られていないことが大きいと感じます。洋装が主流になってくると、洗うということが日常で行われるため、洗いにくいというのは一つ大きな壁になっているように感じます。

山添 丹後ちりめんの「糸へん」産業でいうと、これまでも和装分野への生地供給がほとんどで、今も全体としては変わっていません。個別事業者の活動としては、洋装、インテリア等に挑戦する取り組みも見られますが、産地全体でみるとごくわずか。現在の生活様式に産業が適応しきれていません。

矢島 能動的に主導権を持って変えていくという状況を、生み出してきれていないのですね。織物に限らず伝統産業全体に言えることでもあるのですが。

保守的になり過ぎると守れない


ー今、矢島さんから「能動」というキーワードが出ました。前へ一歩でることができなかったのは、地域の人の気質もあったのでしょうか?そうではなく、リーダーがもっと旗を振る必要があったのでしょうか。
山添 織物産業の地域内同業者は、取引先もそう大きく異ならないこと等から、ある種の閉鎖性を生み出したのかもしれません。周りが気になり、言いたいことも言いにくく、未来を見据えた決断と実行に取り組めなかった。そのような状況で、政治も新しい選択肢を見出すことは難しかったように思います。

矢島 はじめから集団全体で変わるのは正直難しいと思っていて、まず個々人が変わることから始めるのが実は早いと感じています。2人になれば集団になり、それが3人、4人……と増えていけば、いつの間にか社会全体の動きになり始めます。人間は本能的に生き残る、守るために設計されています。でも実は、保守的になり過ぎることで守れなくなるという逆説的な事が起きてきている。それは過渡期に起こりやすい。どうなるか分からない中で舵を切るのは、経営者として非常にリスクがあるのもわかります。けれども今、大きく舵を切らないと継承できなくなる、ギリギリの時代。私は今、明治維新ぐらいの大きな変革の時代を生きているという感覚です。
矢島さんと山添町長

「よそ者、若者、馬鹿者」


ー矢島さんのように外部から地域活性化に刺激を与えることは重要ですが、最初の1人、2人は地元の人が旗を振るべきですよね。
矢島 そうですね、やはり外からの人だけでも上手く行かないですし、かと言って、中の人だけでもうまくいくとは限りません。やはり、地域内外の人が共に取り組んでいる地域は、とてもイキイキしているところが多いように感じます。「よそ者、若者、馬鹿者」とよく言われますが、これは本当にそうだなぁと感じます。私もこの内のどれかであり続けたいと思っています。

ー町長は当選した時、全国最年少でしたよね。若さという売りは自分の中でインセンティブとしてあったのですか。
山添 選挙中は全国最年少町長というのを知らなくて、選挙が終わった次の日に新聞記者の方に聞いて驚きました。1700以上の市町村があり、もっと若い人がいるはずだと思っていたので、悲しい気持ちになりました。大きな責任を負っていますが、プレッシャーを感じることなく、日々楽しみながら仕事ができる所以のひとつは、若さにあるのかもしれません。

住民の熱意がいかに宿っているか


ー矢島さんがこの市町村や首長と一緒に仕事をしてみたいと思う基準は何ですか。
矢島 そんな偉そうな立場じゃないですけれど、町を愛している職員さんがお仕事をされている地域、首長になることを目的とされていない方が首長になられている地域ですかね。自分の町をもっともっと輝かせたいという感覚がある方。その上で、どのように輝かせられるかと考えた時に、起業することもできるし、会社員として企業の中だからこそできることもあるし、一つの選択肢として首長という職業も存在するのだと思うのです。山添町長は、町長に就任されてから、この3年間いかがでしたか。

山添 住民基点のまちづくりが重要だと改めて感じています。特に産業政策においてはスタートの段階で住民の熱意がいかに宿っているかによって、事業の進捗が異なります。行政が主導しすぎた産業施策はだいたい上手くいきません。住民の意志や想いをベースに置かなければなりません。

矢島 確かに。行政側が「みんなやろうよ!」と音頭を取りすぎてしまうと、結局主体者が不在になりがちで、誰もやらないという結果につながってしまう。上手くいかない自治体の典型例ですよね。やはり必要なのは元気な民間事業者。自分も楽しみながら地域を想うプレーヤーがどれだけいるかが重要だと思います。職業柄多くの地域を訪問しましたが、元気な自治体には“主体性を持った面白い大人”が必ずいるのです。

世代間のサイクルがうまく循環


ー主体性を持った面白い大人とは年齢的にはどのくらいの世代なのでしょうか。
矢島 30、40代です。彼ら彼女らが引っ張って、その背中を20代が見る。そこにさらに年配の方々が助言をしたり、各世代のつなぐぎの役割を果たす。いわゆる“成功している自治体”ではどこの場所でも、この世代間のサイクルがうまく循環してできあがっているように感じます。

山添 過去から脈々と受け継がれている伝統を、人口構造の中でしっかりと循環させること。この世代間の関係が仕組みとして成立しているのは非常に大事です。与謝野町は人口2万2千人超、面積108平方キロメートルでとても良い規模だと思います。みんなの顔が見える範囲。1人を介せばいろんな人たちがつながる。そう思える「感覚」がとても重要だと思っています。

矢島 私はいろんな地域を回っていて、1万5千~3万人規模の街が感覚的に心地よいですね。近すぎないけど遠すぎない、みんなで頑張れるような気がする距離感。財源や地域を引っ張るプレーヤーが現われるための人口を考えてみると、それくらいの人口に収まっていることが多いのです。

個人としての独立性と公共性が共存


ーさきほど行政が出過ぎるのは良くない、というお話をされていましたが、逆に強い思いで進めてきたことは何ですか。
山添 「ゴミ袋の有料化」です。与謝野町の美しい自然を、次世代につないでいくことを考えると、ゴミの排出量を減らし、豊かな生活環境を整えなければなりません。そのための施策の一つでしたが、先日議会で否決となりました。住民の負担が増大することが主な理由です。

矢島 えっ、否決になったのですか……?

山添 私たちが繰り返し申し上げたのは、この議案はゴミの減量が第一の目的であるということ。議員の方からは、「財源確保」だったら賛成するというご意見をいただいたのですが、施策の立案意思を貫きました。

矢島 思考過程の違いですね。ゴミ袋の有料化で少しでもゴミの排出量を減らそうと、自然と住民のみなさんが考えはじめる環境を、山添町長は醸成しようとされた。結果として、気がつくと住民一人ひとりが、未来に美しい与謝野町を繋ぐことに貢献しているシステムが構築される。けれども、財源確保のための有料化となると、むしろゴミの排出量を増やしてほしいという意図になってしまう。一見すると有料化するという事実は変わらないのですが、どちらの目的のためにその政策が実施されるのかで、その後に現れる結果に天と地の差が出て来ると思います。

 私自身の仕事は首長さんと似ていると最近感じています。未来のビジョンを描くというよりは未来を見に行くこと、見えている未来を仲間たちに伝えるのが私の仕事だと思っています。その未来が具体的に現場で共有されればされるほど、仕事の進みが早くなり、欲しい未来に早く近づくのです。もう一つ、過去を知ることも大事。未来を見るためには、過去の歴史に目を向けなければならない。それをどう現在につなげるか。この感覚で私は経営をしています。

山添 その通りだと考えます。未来を創造する意志を、私たちがどれほど育めるかで、地域は大きく変化します。地場産業に関しても新たな取り組みを進めています。20代、30代の織物職人を支援する取り組みです。与謝野町で蓄積してきた感性や技術をオープンにするとともに、他産地に赴き、職人さんから技術を学び、課題も共有することで、新しい織物の価値を発信していこうというものです。私が好きな町に、スペインのサンセバスチャンという場所があります。食の都で、飲食店がひしめきあっているのですけれど、あそこはレシピを公開しお互いを高め合う風土がある。つまり、個人としての独立性と公共性が共存している。私たちの町もそうあり続けたい。丹後ちりめんの創業はそのような精神から始まっています。先駆者が習得してきた技術を、学びたい人には惜しげもなく教えていった。そこで個人としても独立していくし、公共としても豊かになっていく。そういう地域は居て、とても心地よい。

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与謝野町の高台からみる天橋立の朝日(株式会社和える提供)



かべ新聞「うちのまち」

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矢島 里佳

矢島 里佳
08月29日
この記事のファシリテーター

 私のお気に入りは、与謝野町のかべ新聞「うちのまち」。与謝野町の各家庭に配布されているのですが、WEBでも見ることが出来ます。改めて自分たちの町を見直して、子どもたちに与謝野町の魅力を伝えていこうという取り組み。町民の皆様の意外な習慣や動植物の生態系、レジャースポットに絡めつつ町の地形の珍しさを伝えるなど、毎号様々な視点から楽しめ、素朴でほっこりする新聞です。
 毎号「うちのまち」の記事に連動して開催される「うちのまち講座」も魅力的!記事を読んで興味を持ったら、更に深めるための行動を起こせる循環が生み出されているのです。私も「うちのまち講座」に参加しに行きたいと思っているところです。この3年間緩やかに寄せていただいている、与謝野町をはじめとした海の見える京都、丹後地域はとても魅力的。みなさん、ぜひ遊びにいらしてくださいね。

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